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買取ドクターの掛け軸買取の高額査定実績
掛け軸の高価買取は買取ドクターにお任せ下さい。
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買取実績83,000円
中国画 王雪涛『花卉禽鳥図』
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買取実績700,000円
鹿曼荼羅 阿弥陀如来
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買取実績 70,000円
雲中観世音御像
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買取実績1100,000円
小林一茶 自画賛 文人図
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買取実績90,000円
中国掛け軸
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買取実績120,000円
扁額表具見本帖
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買取実績240,000円
鈴木其一 夏山水
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買取実績66,000円
岸駒 龍虎図
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買取実績50,000円
旧家、蔵掛軸
最新の買取事例
地元広島の経験豊富な鑑定士と当社独自の
査定基準にて高価買取をご提案いたします。
ご利用の流れ
作業完了まで簡単3ステップ!まずはお気軽にご相談ください。
STEP2
お電話・ご訪問にてお見積り
お品の種類や量、現場の状況などで作業費や買取価格が変動します。
お見積りをご提示してお客さまにご納得頂きましてから、ご都合が良い日時を決定させて頂きます。
お品が多い場合は、現地でのお見積りも可能です。
広島県内であれば、ご訪問によるお見積りは無料です。
STEP3
作業実施&お支払い
「作業は素早く丁寧に」を心掛けております。
作業完了後はお客さまにご確認頂きまして、料金の決済を行います。
お支払いは、現金またはクレジットカードをお選び頂けます。
現金によるお支払いは、当日お伺いしましたスタッフにお支払いをお願い致します。
掛け軸買取りでよくあるご質問
高く売るポイント
掛軸を高く買取ってもらうためのポイントを解説します。
POINT 1
掛軸に詳しい鑑定士がいる買取り業者を選ぶ
掛軸は有名作家の作品ほど高く買取る傾向があります。しかし、有名作家の作品は贋作が多く、掛軸に詳しくない業者は真贋判定に自信がないため、安く買取る可能性が高いです。
掛軸に詳しい鑑定士がいる買取り業者であれば真贋を見極めて相場にあった買取り金額を提示してくれるから安心です。掛軸に詳しい鑑定士がいる業者を選ぶには、業者のホームページを確認しましょう。
ホームページに鑑定士の紹介や掛軸の解説があれば掛軸に詳しいと判断できます。また、お客様の声や口コミも確認しましょう。「知識のない私に詳しく解説してくれた」などと詳しいコメントがあればさらに信用できます。
POINT 2
買取実績が豊富な買取業者を選ぶ
なぜ、他社より高く買取りできるのかを確認するのも大切です。高く買取できる業者は、海外の販売網や独自のオークションを開催し、販売先が多いなど、高く買取りをする理由を説明しています。
さらに、買取をした理由も確認しましょう。例えば、「北大路魯山人は芸術家として有名」、「共箱などの付属品もそろっていた」、「状態良好」など詳しく書いてあれば納得できます。
高価買取と案内があっても、実際にいくらで買取りをした例があるのか分からない業者は避けましょう。
POINT 3
箱や鑑定書を揃える
掛軸が収められている箱があれば高い買取りを期待できます。箱にも種類がありますが、重要な箱は共箱(ともばこ)です。
共箱には作者自身が描いたことを証明する落款が残されており、大事な鑑定材料になります。箱があれば一緒に鑑定してもらいましょう。
また、真贋が確かめられている鑑定書などもあれば鑑定時にプラス要素になります。掛軸だけでなく、付属品や一緒に保管されているものがあれば捨てずに保管するようにしてください。
POINT 4
複数の買取業者に査定を依頼する
掛軸は作家や種類で相場が決まっていることが多いです。
しかし、買取業者によって査定額に差があります。理由の一つは業者の販売網です。掛軸を欲しがる顧客を多くもつ業者は高い買取をしても、それに見合った金額で販売することが可能です。
また、業者によっては買取を強化している作者の掛軸もあります。売るタイミングも重要
なので、複数の業者に査定を依頼すれば高い買取りをしている業者を見つけられます。
掛け軸の歴史
掛け軸の歴史
掛軸の起源
掛軸の起源は中国晋の時代(265年 ~420年)だと言われています。当時の中国では仏像や仏画を礼拝の対象として用いていました。仏画を傷つけずに保管したり、持ち運んだりするために、丈夫な紙に貼り、桐箱などに丸めて収納するようになりました。
日本には飛鳥時代に掛軸が仏教とともに中国から伝わってきました。僧侶や貴族は仏画が描かれた掛軸を飾り、仏を祈っていました。日本に入ってきた当初は、仏教を普及させるための道具としての用いられることが多かったのです。
室町時代には礼拝用から観賞用として発展
観賞用の掛軸として広まったのは水墨画です。水墨画は鎌倉時代後半に禅宗とともに中国から入ってきました。
室町時代になると中国から多くの水墨画持ち込まれて、水墨画が流行るようになりました。花鳥風月の水墨画などのように、仏教画の掛軸から離れて、芸術品としての要素が強まります。
掛軸が床の間に飾られるようになったのも室町時代からです。茶の湯の文化に大きな影響を与えた千利休によって掛軸の重要性が高まりました。千利休は床の間における掛軸の重要性を説いています。掛軸は客人をもてなす慣習の一つにもなり、必要不可欠な道具となりました。
安土桃山時代には織田信長や豊臣秀吉が茶の湯を好んだことが影響し、床の間の様式が発展。絵画技術も同時に発展し、狩野永徳、長谷川等伯、海北友松ような有名な絵師が誕生しました。
江戸時代には町人の間にも広がる
掛軸は武家で普及していましたが、江戸時代になると町人の間にも広がるようになりました。理由の一つには江戸時代に五節句が祝日になったことがあります。節句に合わせて掛軸を変え、節句を楽しむようになりました。
また、狩野派に代表される絵師だけでなく、知識人や文化人が描く「文人画」が流行るようになりました。有名な文人画には池大雅、与謝蕪村、谷文晁、渡辺崋山らいます。
さらに、18世紀には江戸を中心とした狩野派とは別に京都画壇も栄えました。
このように、江戸時代には多くの作品が描かれるように掛軸の価値はさらに高まっていきました。
掛軸が初めて日本に入ってきたときは、仏画のように宗教的な意味合いが強いものでした。しかし、時代の権力者の影響や千利休らの文化人によって、掛軸は美術品としての価値が強くなっていきました。
現在は床の間の和室は減少傾向にありますが、掛軸は芸術品として今でも多くの愛好家に親しまれています。
掛け軸の種類
中国掛軸
中国掛軸は絵画の中に「誰が、いつ、なぜこの絵を描いたのか」と「絵画についての詩句」が書いてあるのが特徴です。親しい間柄の人に絵画ともに詩句を贈りあう習慣があったらからです。
また、影を書き入れる習慣がないのも特徴です。
山水画
中国唐の時代に確立された絵画形式。墨のみで描かれ、山や渓谷、川など自然を描いています。しかし、実際には存在しない自然をイメージして描かれています。山水画は作者の思想や心情を自然を用いて表現しているからです。
花鳥画
花鳥画は花や鳥だけなく、魚や鯉、蝶などの虫、猫などの小動物まで描かれています。花鳥画に描かれた植物や動物には意味があり、込められた寓意があります。
例えば、魚や鯉はめでたさや子孫繫栄を表しています。蝶や猫には長寿の意味があります。
仏画
仏画は仏様だけでなく、仏教を題材にした絵画も含まれます。基本的には仏教の教えを説明するために用いられていました。仏画は専門の絵師が信仰の現れとして描いており、研究資料的にも芸術的にも価値があります。
水墨画
水墨画は墨の色一色で描かれています。日本には鎌倉時代に中国から禅宗とともに入ってきました。水墨画は心を落ち着かせる雰囲気があり、茶道や華道と通じるものがあります。
黒一色なのに色がついているように見えたり、動きを感じられたり、様々な魅力があるのが水墨画の特徴です。
書画
書画には書と画が一体になった作品という意味もあります。画だけなく漢詩などの書を同時に楽しめるのも特徴の一つです。同じ文字でも墨や毛筆、力の入れ方などで様々な表現ができるのも魅力です。
しっかり査定してもらえる掛け軸のプロに買取を依頼しよう!
掛け軸の見分け方をいくつかご紹介しましたが、やはり、プロに確認してもらう事で正確な情報が得られます。
高価買取を狙うなら、銀の買取強化をしているお店がおすすめです。
出張買取ドクターの対応可能な地域
広島県
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